【悪気は無いけど無責任】リンゲルマン効果とは?

リンゲルマン効果

こんにちは、柴山です。

以前にいた職場で、社内稟議で承認経路に加わる人を増やしたところ、誰も本気でチェックしてなかった、ということがありました。建築現場の作業確認などでも同様の「確認者を多くした結果、誰も確認してない問題」があることはネット記事などでチラホラ見られます。

いいわけないだろ…


こういう「みんなが見たはず」の現象は、各員が意図的にサボっている、という場合ももちろんあります。しかし心理学の知見によると、悪気は無いのに、つまり無意識に手を抜いてしまうことがあるようです。

今回はこういった「社会的手抜き」とも呼ばれる、リンゲルマン効果についてまとめてみました。

こんな人におすすめ

  • 心理学とかが好き
  • 自分の周りにいる人の無責任さが気になる
  • いつもの会議が毎回なぜ不毛なのか知りたい
  • いつも会議を仕切っている人の思惑を知りたい
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「きっと自分以外が頑張るはず」:リンゲルマンの綱引き実験

綱引き実験の概要

  • 実施者:フランスの農学者 マクシミリアン・リンゲルマン
  • 方法:参加者にロープを引かせ、1人、2人、3人、…と人数を増やしていき、全体の引く力を測定
  • 人数が増えることで、引っ張る力がどのように変わるかを検証

その結果は…、もうなんとなく想像がついていると思いますが、

人数が増えた分に比例して全体の引っ張る力が増えるわけではない
 ↓
むしろ人数が増えると1人当たりの引っ張る力は低下

(人数とパフォーマンスの逆相関)
 ↓
人数が増えたので、「自分が頑張らなくても大丈夫だろ」と手抜きをしている人がいる

先頭の人「なにかが、おかしい…」

私の感想としては実験の結果よりも、まず人間の本性を暴くために綱引きによる実験をするという発想が素晴らしいと思います(何一つ、最新技術とかに頼っていない点とか)。リンゲルマンさんはとても柔軟な考え方ができる、想像力豊かな人だったに違いありません。

さて、この実験だけであれば手抜きではなく、人数が増えた分だけ連携が上手くいかなかった(物理的な調整のロス)という可能性もあります。

そこで「声出し実験」という別の形で、ラタネ、ウィリアムズ、ハーキンスという方たちが検証を行いました。するとやはり、集団になったことによる「社会的手抜き」とも言うべき心理的なメカニズムありそうだ、という結論に至りました。

しかも、実験の条件をあれこれ工夫した結果、どうやら「自分が頑張らなくても大丈夫だろ」と考えてしまうのが、人間の無意識の反応らしいことです。つまり実験に参加した人たちは、ワザと手を抜いていたわけではなかったようなのです。

傍観者効果
集団で何かすべきときに意識的に手を抜いたり、行動を控えてしまうことで「バイスタンダー効果」とも呼ばれます。例えば、犯罪現場に居合わせた人たちが皆「どうせ誰かが通報するだろう」と責任回避的な考え方をしてしまい、結果的に誰も通報しないということが起こります。

責任の所在があいまいになる構造とは?

こういった心のメカニズムがビジネスの場などで問題になるのは、

  • 最初に書いたような、確認者が複数いる場合での「他の人もいるから」
  • 合議制の場での「みんなで決めたことだから」

こういった気持ちが無意識のうちに生まれ、失敗した案件につき誰のせいか分からないという状態になってしまうことです。

バンドワゴン効果と「みんなで話し合って決めました」

しかも、こういった心理は大人も子供も立場も関係ないので

  • 学級会
    「なんで決めたの?」→「え、先生が言ったから」 「みんなが言ってたし」
  • 作業現場での指差し確認など
    他の人が見てるはずだからヨシ!
  • 取締役会や株主総会
    [承認したけど、本音では反対だった」 「空気で決まった」
  • ンション総会
    苦情が出てから「実は自分は内心では反対だった」
  • 国としての意思決定
    ??「戦力も工業力も劣ってるけど、反対する人もいないし、アメリカに戦争しかけちゃえ」

あらゆる場面で無責任さが顔を出す可能性があります。

バンドワゴン効果
多数派に合わせることで安心感を得ようという心理です。流行りのアイテムを「みんなが持っているから自分も」くらいなら無害ですが、会議などで「反対すると浮いてしまうから、とりあえず賛成で」にもつながってしまう可能性があります。

この辺の心境について、アビリーンのパラドックス、集団浅慮(グループシンクとも言います)などなど、当てはまる言葉はたくさんあります。とはいえ、こういった用語を覚えることよりも大事な、警戒すべきことがあります。

集団心理と悪意:権力行使のグレーゾーン

警戒すべきこととは、人間の心理を熟知した(あるいは本能的に察した)人物がいたとして

  • 合議制の「場の空気」をうまく操り、
  • 自分の意見が採用されるように仕向け
  • 合議により決めたような体裁を整える

その結果、自分の意見を通しておきながら
失敗の際は、
あの時、皆さん賛成でしたよね?
と、責任を「みんな」に押し付ける。

みたいなことが、確信犯的にことが行われる可能性です。
(もちろん成功の際はちゃっかり功績を主張する腹づもりで)

これは別に特殊なことでも、陰謀論とかでもなく、注意して見れば割と身近にある出来事ではないでしょうか?

では、皆さんの総意ということで!

そこで問題となるのは
だったら、どうすれば良いのか?
ということです。

大事な決定を「場の空気」に任せない、責任を明確にするための工夫

人間のやることなので、
こうすれば完璧!
ということはないのですが、対策としては…

役割を明確にする

  • 会議の議事録には「提案者・賛同者・実行責任者」を明確に残す
  • 稟議などでは、「Aさんが確認済み」「Bさんが最終チェック」など役割までの残す

など、「誰がどこを担うか」を明確にするのが事の始まりです。もし、これに反対する人物がいたら、その人は上に挙げたような「会議をあやつる黒幕」かもしれません。

透明性を確保し、偏りを防ぐ

  • ファシリテーター役と提案者を分けることで、合意誘導の偏りを抑える
  • 少数意見も議事録に残す
  • 「空気」を気にせず発言できる企業文化づくり

このうちファシリテーター役の権限を明確にすることは特に重要だと思います。例えば他人の発言を途中で遮って話し出すような人物に対しては、たとえそれが役員だろうが制する権限があるべきです。
(現実はなかなかそうはいきませんが…)

「社会的手抜き」に対する究極の対策は?

組織論の中には「責任と権限の一致」という、次のような考え方があります。

  • 責任を負う以上、責任を果たせるだけの権限が無ければならない
  • 権限を振るう以上、責任を負わなければならない

ここから突き詰めて考えると、責任者(=決定権者)を1人に定めて権限を与えるのが最終的な解決策ということになります。(制度または法律上、議制にしなければならない場を除くとして)

ただ、そうなると今度は

  • そもそも自ら責任を引き受けよう、という人材がいないのが問題
  • 特定の人に権限を与えると、今度はその人に対するチェック機能が必要

という別の問題が発生します。

なんだか問題が1周して、別の問題のスタート地点に戻ったような感覚です。

仕組みで「社会的手抜き」を減らせるか?

心理学にまつわる記事を作成していて思うのは
人間関係にまつわる心理とか、対策を考えたところで根本的には解決しないのでは?
ということです。

人間の心の仕組み自体はそうそう変わらないし、何らかの対策を取ろうとすると上に書いたように別の問題が発生する可能性もあるからです。

それでも…、と私が思うのは、何か問題が起こった時に自分のせいでは無く、そういう人の心のメカニズムが元々の原因なのだ、と考えることで当事者の気持ちが少しは楽になるのではないか、ということです。

また人の心理について理解が深まることで、悪意を持って確信犯的に動いている人に対して、正しく警戒心を持つことができるのではないでしょうか?そういった方に利用されないよう、適度に距離を保つきっかけになればと思います。

ということで、今回はここまで。



リンゲルマン効果

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