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こんにちは、柴山です。
以前にいた職場で、社内稟議の承認者を増やしたところ、誰も本気でチェックしてなかった、ということがありました。
建築現場の作業確認などでも、似たような事態があることはネット記事などでチラホラ見られます。

こういう感じです。
こういう「みんなが確認したはずだから多分大丈夫」の心理は、各員が意図的にサボっている、という場合ももちろんあります。しかし心理学の知見によると、サボる気はなくても無意識に手を抜いてしまうことがあるようです。
今回はこういった、集団無責任についてまとめてみました。
ひと口に「集団無責任」と言っても、いくつかのタイプがありますので、順番に紹介していきます。
どうせ誰かが…、という手抜き:傍観者効果
傍観者効果は、緊急事態に遭遇した際、周囲に多くの人がいるほど、個人の援助行動が抑制される現象です。
例として、事故や事件の現場を目撃した際に「他の誰かが通報するだろう」と皆が考え、結果として誰も通報しないという行動に現れます。
①責任の分散
周囲に多くの人がいることで「自分が行動しないと」という責任感が希薄になります。
②多元的無知
他の人が行動を起こさないのを見て「これは緊急事態ではないのかもしれない」と誤って解釈してしまう。
③評価懸念
「行動を起こして失敗したら恥ずかしい」「場違いなことをしてしまうのではないか」といった、他者からの評価を過度に気にする心理です。
知らず知らずのうちに手抜き:リンゲルマン効果
リンゲルマン効果(Ringelmann Effect)は、集団で行う作業において、集団の人数が増えるほど、個人のパフォーマンスが低下する現象です。
上に書いた通り、傍観者効果では「他の誰かが行動するはずだから大丈夫」という意識が働いた結果として起こります。
それに対してリンゲルマン効果では、その場にいる1人1人にはっきりとした「手抜き」の自覚が無いのが特徴です。
リンゲルマン効果の検証①:綱引き実験
フランスの農学者 マクシミリアン・リンゲルマンが以下のような実験を行いました。
綱引き実験の概要
- 方法:参加者にロープを引かせ、1人、2人、3人、…と人数を増やしていき、全体の引く力を測定
- 人数が増えることで、引っ張る力がどのように変わるかを検証
実験の結果、分かったこと
・人数増加にわりに、全体の引っ張る力は増えない
・むしろ人数が増えることで1人当たりの引っ張る力は低下する
(人数とパフォーマンスの逆相関)
⇩
人数が増えたことで「そんなに自分が頑張らなくても大丈夫だろ」と手抜きをしている人がいる

先頭の人「なにかが、おかしい…」
リンゲルマン効果の検証②:声出し実験
綱引き実験だけだと、参加者が意識して、つまりワザと手抜きをしている可能性もあります。
そこで、別の研究者たちにより検証が行われました。
声出し実験の概要
- 被験者には、目隠しとヘッドフォンを装着してもらう
- 被験者に「できるだけ大きな声で叫んでください」と指示
- 被験者は、一人で叫ぶ場合と、集団で叫ぶ場合の両方を行う
- それぞれの場合の声の大きさを測る
ただし集団で叫ぶ際には、他の参加者が何人いるか、どのくらいの声で叫んでいるかは分からないようにして行う
実験の結果、分かったこと
・集団で叫ぶ際には、1人だけで叫ぶ場合に比べて1人当たりの声量は減少する
・他の参加者の声量が分からないように行っているので、「ワザと手抜き」とは考えにくい
⇩
自分以外にも参加者がいることにより、無意識による手抜きが発生している
ということで人間の心の中には、自分以外の誰かが当てにできる状況では意識的、無意識的いずれでも手抜きをしてしまう、そんな困った心のメカニズムを持っていると言えます。
みんなでやれば怖くない:集団思考とバンドワゴン効果
綱引き実験、声出し実験とも、実験の参加者同士の意志疎通はありません。また、たまたま事件現場に居合わせた者同士で発生する傍観者効果でも、その場にいる人たちの間に意思疎通はありません。
では、会社の同僚など、意思疎通できる関係であれば社会的無責任を回避できるのでしょうか?
結論から言うと、ことはそれほど単純でもないようです。
集団思考(集団浅慮)とは?
結束力の高い集団において、合意を重視するあまり、批判的思考や現実的な判断が失われ、非合理的な意思決定をしてしまう現象です。集団の調和を保つことを優先し、異論を唱えることを避けようとする心理が働きます。
集団思考のうち、「集団になると、個人の知性が鈍り、思考が浅くなる」という傾向を集団浅慮と呼ぶこともあります。集団の中で判断や行動が画一的になり、個人の独自性が失われることを強調する際に使われます。
集団思考(集団浅慮)に陥った人達の思考
同調圧力:集団の意見に反するメンバーは、沈黙を強いられる。
自己検閲:自分の意見が集団と異なっていると感じると、自ら発言を控える。
外部集団へのステレオタイプ化:集団の決定に異を唱える外部の人間を、無能だと見下す。
責任の希薄化:個人の責任感が薄れ、思考が安易になる。
感情的な判断:理性よりも、集団の感情やムードに流されやすくなる。
集団思考に陥った、とある企業の会議(⇒クリックすると開きます)
場面設定:
とある中堅IT企業の新規事業戦略会議。
参加者:
- 社長:カリスマ性が強い創業者
- A部長:社長には常に同調
- B部長:いつも行き当たりばったりの社長の考えに疑問を抱いている
ある日の会議の様子:
社長: 「皆さん、AIを活用した新規事業についてです。ここは一気に攻め込んで、業界のパイオニアを目指しましょう!」
A部長: 「素晴らしい!AIは今後の成長の鍵です。全面的に賛成です!」
B部長: 「(少し躊躇しながら)顧客データの取り扱いやプライバシーの問題など、課題も多いのでは…?」
A部長: 「リスクを取らなければリターンは得られません。B部長、他には?」
B部長: 「(小さな声で)投資額がかなり大きくなるかと…」
A部長: 「将来の収益を考えれば先行投資は必要です。細かいことは後で詰めましょう。」
社長: 「ありがとうございます!このAIマーケティング事業、全社一丸となって推進することで決定とします!」
バンドワゴン効果とは?
多数派に合わせることで安心感を得ようという心理をバンドワゴン効果と言います。
バンドワゴン効果の例
- 流行に乗り遅れまいとする
「話題のドラマをとりあえず見る」「流行りの曲を聞いてみる」 - 学級会
「みんな賛成だったから賛成した」 - 作業現場での指差し確認など
他の人が見てるはずだからヨシ! - 取締役会や株主総会、マンション総会など
[承認したけど、内心では反対だった」 「空気で決まった」 - 国としての意思決定
??「戦力も工業力も劣ってるけど、反対する人もいないし、アメリカに戦争しかけちゃえ」
こうして並べてみると、人間は他人を当てにできる状況、他人のせいにできる状況など、あらゆる場面で無責任を発揮(?)できる生物と言えるかもしれません。
社会的無責任の悪用マニュアル
他の人が責任を負ってくれそうな状況なら、わざわざ自分は責任を負いたくない、という心理を活用(悪用)することも可能です。
悪用例①:組織票による権力掌握
国民の政治に対する関心が低く、投票率も低いことに着目。これにより組織票の相対的な影響力が大きくなることを利用して政権を獲得する。
⇒「自分の1票など世の中に影響しないだろう」という心理につけこむ。
悪用例②:会社の会議を操る
社内の会議で、自分の意見が採用されるように根回しする。「みんなで決めた」という体裁を取ることで、失敗しても自分個人の責任を問われない。
⇒個人の意見より、「場の空気」を重んじる企業文化を悪用
これは別に特殊なことでも陰謀論とかでもなく、身近にある出来事だと思います。

では、皆さんの総意ということで!
国政についてはいったんおいておくとして、ここでは社内で「集団無責任」により間違った意思決定が行われない方法を考えてみます。
「社内的無責任」に陥らないための工夫
人間のやることなので、
こうすれば完璧!
ということはないのですが、「誰がどこを担うか」を明確にすることが重要です。
役割と責任を明確にする
・会議の議事録には「提案者・賛同者・実行責任者」を明確に残す
・稟議などでは、「Aさんが確認済み」「Bさんが最終チェック」など役割まで記録する
・少数意見も議事録に残す
・ファシリテーターに明確な権限を与え、偏った進行を防ぐ
このうちファシリテーターの権限を明確にすることは特に重要だと思います。例えば他人の発言を途中で遮って話し出すような人物に対しては、たとえそれが役員だろうが制する権限があるべきです。
(現実はなかなかそうはいきませんが…)
「社会的手抜き」に対する究極の対策は?
組織論の中には「責任と権限の一致」という、次のような考え方があります。
- 責任を負う以上、責任を果たせるだけの権限が無ければならない
- 権限を振るう以上、責任を負わなければならない
ここから突き詰めて考えると、責任者(=決定権者)を1人に定めて権限を与えるのが最終的な解決策ということになります。(制度または法律上、議制にしなければならない場を除くとして)
ただ、そうなると今度は
- そもそも自ら責任を引き受けよう、という人材がいないのが問題
- 特定の人に権限を与えると、今度はその人に対するチェック機能が必要
という別の問題が発生します。
なんだか問題が1周して、別の問題のスタート地点に戻ったような感覚です。
仕組みで集団無責任を減らせるか?
心理学にまつわる記事を作成していて思うのは
人の心理を学んだところで、人間関係にまつわる問題は解決しないのでは?
ということです。
人間の心の仕組み自体はそうそう変わらないし、何らかの対策を取ろうとすると上に書いたように別の問題が発生する可能性もあるからです。
それでも人の心理について理解が深まれば、悪意を持って動いている人に対して正しく警戒心を持つことにつながるので、学ぶ意義があると言えるのではないでしょうか?
ということで、今回はここまで。